No.42
スポーツトレーナー
時代の先駆者
 10月8日、札幌在住の鍼灸師・志和賢一先生が71歳で亡くなりました。私を指導してくれた故・佐々木功監督の友人で、実業団に入って以来、長い間、お世話になった方でした。今は実業団や大学の陸上部も、当たり前にスポーツトレーナーのお世話になっていますが、30年前はまだまだスポーツ選手の身体を理解している人達は限られていて、単なるマッサージに満足していた競技者も少なくなかった時代、佐々木監督と志和先生は、その時代の最先端を走っていた気がします。
監督との信頼関係
 2人の出会いは、佐々木監督が現役の時に通っていた治療院で、同年代の志和先生が弟子として学んでいたことがきっかけでした。私はお会いしたことはないのですが、その時の鍼灸師の野村先生が2人にとっては大きな影響を与えたそうです。佐々木監督のトレーニング理論の根底には常に東洋医学の考えがありましたね。佐々木監督がNEC・HEの監督になり、札幌の大会に出るようになり再会、それ以降、札幌の大会に出る時には選手を連れて志和治療院に行き、士別や別海など北海道での合宿の折には、志和先生に合宿先に来てもらいました。佐々木監督と志和先生はお互いの立場と見解から、時間が許す限りトレーニングのこと、選手のこと等々、いつも話し合っていました。常に時代の先端を追いかけていた佐々木監督は時には暴走気味な行動も・・・そんな時に志和先生は諫めてくれたりも。2人の間には、きちっとした信頼関係があるのを感じていました。
新たなチームトレーナーの誕生
 そして1980年代後半、まだどこのチームにも専属のトレーナーがいない時代に、佐々木監督はチームの現役を引退した山川君をトレーナーの資質があると見込み、志和先生の元で修行させようと半年間預けるという大胆な行動に周囲はびっくりでした。トレーナー等は向き不向きもありますが、佐々木監督の目に狂いはなく、山川君は志和先生に育てられ、その後は専門学校に通って資格を取り、チームのトレーナーとして、私達選手の頼りになる存在になりました。チームが解散した今でも、山川君は多くのランナーの信頼を得るトレーナーとして頑張っています。
教えを後世へ
 佐々木監督が亡くなった後も、北海道で合宿するチームが志和先生に治療をお願いすることも増え、お世話になった選手は本当に多いです。ヤクルト所属のジェンガ選手の治療に関わってからは、アフリカ勢が何故強いのか、どんな生活をしているか見てみたい、と自費でケニアまで行ったこともある位、現状に満足せず、常に意欲的な気持ちを持ち続けていた人でした。まだまだスポーツ界にいてほしい存在の方でした。色々なことを教えてくれた志和先生の教えを多くの人達に伝えていくのが、育ててもらった私達の努めだと思っています。
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