No.23
青東駅伝
駅伝シーズン到来
 11月になると様々な駅伝が開催され、テレビの画面を賑わしています。11月始めの風物詩だった青東駅伝(東日本縦断駅伝)は好きな大会でした。青森から東京まで800km前後の距離(コース変更で年によって距離は異なる)60数区間を20数人で、7日間かけて一人2~3回走って繋いでいく、東日本の都道県対抗の大会で、1984~93年の10年間は女子の区間があり、私も何回か参加しました。
青東駅伝の思い出
画像1 84年に女子の区間が出来た年は青森スタート(8k)と4日目の仙台ゴール(10k)を走りました。当時のNEC.HEの佐々木功監督は駅伝大好き人間だったので、影響を受け私もチームの駅伝の時はサポートに熱が入っていました。NEC.HEには女子は一人のため、チームで駅伝をやれなかったので、同じチームの男子選手や佐々木監督と一緒に東京チームでやれるのが、とても嬉しかったです。特に伴走車がある大会で佐々木監督が伴走車から声をかける姿は、選手としては羨ましかったので、仙台の街中を監督の声を背に走れた時は、嬉しくてテンションあがりましたね。
 一日のスタート、ゴールは主要都市の街中ですが、途中の中継地点は何もない所が多かったです。旅館もなく民泊する場所もありました。移動も大変で1時間に1本しかバスがない所へ時刻表片手に各自移動し、走り終わったら自力で帰らないといけなかったりで結構大変でした。女子の区間は他と比べ移動が楽な場所ですが、私も初めて青森スタートから中継の浅虫まで走った後は、帰る手段がなくなって慌てたことがありました。たまたま他の県の応援車に乗せてもらうことができ、無事帰れましたが、他の駅伝とは違い、自分で色々とやらなければならないことも多かったですね。
各地を襷でつないでいく駅伝
 普段は大きな大会と縁のない場所も多々通りますが、その地域ごとに色々と特色があり、地元の人達の暖かいもてなしを受けたり、その町の特産物をお土産にもらったりと、結構楽しかったですね。季節がらリンゴは食べきれないくらいもらいました。他の大会が多くなったことや、交通事情などから、残念ながら2002年で大会はなくなってしまいました。青森から東京まで移動するのは決して楽ではなく、7日間で2~3回走るだけでも大変ですが、男子選手は度々区間変更されて、いつ走らされるかわからない状態でした。色々な面で、いたれりつくせれりの大会と違って選手自身もたくましさを身につけられた気がします。また他のチームの選手と交流を持つことかできたのも楽しかったです。また東京はほとんど実業団の選手でチーム構成していましたが、実業団のない県は大学生や地元で頑張って走っている市民ランナーを起用していました。そういう地元で走ってる人たちの目標の大会でもあり、貴重な存在だったと思います。青東は過去に一度中止になってから復活したので、いつかまた青東が復活してほしいと願っています。
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